1700年代から続く日本舞踊中村流、八代目家元の二世中村梅彌さんの娘である梅さん。一般企業にて働きながら舞踊家として活動する梅さんの目指す未来は、ちょっぴり意外だけど素敵なものでした。今回は、ほおづき市の準備が進む神楽坂にて、普段お稽古をしている舞台でどんなお仕事をしているのか、転機となったエピソード、これからどんな舞踊家になりたいかという話について伺いました。 企業で働きながら舞踊家として活動されているとお聞きしましたが、どのような毎日を送っているのでしょうか?平日は、歌舞伎に関わるお仕事をしています。 例えば、歌舞伎に隈取ってあるじゃないですか。歌舞伎で役者さんが顔に書いている模様のことです。あの模様、実は血管を示していて、色や形で表現する感情だとか場面が違うんです。そういうものの表現が、企業商品などのなかで正しく使われているのかを調査したり、 他には人気キャラクターと歌舞伎のコラボ商品を作って販売をしています。 私の場合は物心つく前から和の世界にいて、和がある意味日常で、和の物を身につけるといっても普段は小物だとかワンポイントが好きなんです。 でも、販売する際にはもっと「THE 和!」という感じが世間の皆様からは受けたりしますし、逆に例えば歌舞伎が好きな方であればあるほどそういった商品を買わない傾向にあったりと、いつも何も分からない中で開発をするのが本当に苦しいです。でも、そのぶんやり甲斐があって楽しいんですけどね。 お仕事をしている平日以外、土日は舞踊家としてお稽古や舞台出演をしています。それ以外にすることというと、母や友達と池袋PARCOや有楽町OIOIに買い物に行ったり、今一番流行っている映画を観たり、美味しいごはんを食べに行ったり、よく「どんな生活をしているのか」と聞かれますが、踊っている以外は普通の女の子と同じなんですよ(笑) 仕事でも踊りでもプライベートでも、新しいもの・自分の知らないことが大好きですね。 初めて踊った時から、ずっと踊りが好きで続けられていたのですか?私の舞踊家としての始まりは2歳の頃なんです。2歳の頃に立った歌舞伎座が初舞台で、たくさんの人が見てくださっていて、内心すごく怖かったのを覚えています。 本当に小さい頃は舞台に立つといろんな人がプレゼントをくれるのが嬉しくて、歌舞伎役者をやっていた祖父が褒めてくれる、というのがモチベーションでしたね。 基本的には毎回の発表会を目指して練習していて、「踊りが大好きだからやる!」というより、ごくごく日常のやることの1つでした。ピアノを幼少期にやっていた方も多いかと思いますが、それと同じような感覚です。ただ、白塗りするような子はそんなに多くないので、「すごい!」と友達に言われるのが嬉しかったですね。 私と家元の母ではここらへんがとっても違っていて、母は幼少期から踊るのが大好きで、小学生の時なんかは通学中に歩きながら踊るくらいだったそうです。でも私は全然違って。 踊り大好きで!という感じではずーっとなくて。それで、高校生の時に思ったんです。 「お母さんのようには踊れないから、踊りの世界からは遠ざかろう」って。 母からは「そう思うなら絶対できないからやめたほうがいいよ!」とある意味継ぐこと・踊ることを期待されずプレッシャーもなく。 かつ、父からは「舞踊家になるのではなく絶対就職しなさい、芸だけにのめり込むのではなく、世界を見渡せる人になってほしい」と言われ続けてきたので、その影響は大きかったです。 踊り続ける要素は、その頃の私には全然なかったんです。 上の写真は、平成28年5月国立劇場大劇場で行われた”中村梅”の名披露目の「春興鏡獅子」の様子。 「春興鏡獅子」とは日本舞踊でも大曲とされ、新歌舞伎十八番にも入っている演目です。 江戸城の大奥のお鏡餅曳きの日に、お小姓の弥生は奥女中たちに手を引かれお殿様の前へ引っ張り出されてしまい、弥生は戸惑いながらもお殿様の前で踊り始めます。手踊りに始まり、習い覚えた踊りを次々と披露していき、やがて獅子頭を手に取るとたちまちその獅子が弥生に乗り移ってしまい、獅子の狂いを見せ始める、という物語です。 以前と今だと向き合い方が違うように思いますが、いつ舞踊家としての大きな変換点があったのでしょうか?大学生後半になり、就職のことを考え始めた頃から変わってきたように思います。 考えれば考えるほど、小さい頃から母が大きな存在で。 改めて客観的に踊りを見つめ直してみると、母は踊りが大好きだから家元として踊りをしており、それをどう広めようとかどうやって今後生きていくだけのお金を稼ごうみたいなことはまったく考えていなくて。その時に純粋に、「どうにかしなくては」と思ったんです。自分が踊りを広めていくというより、「母と踊りをもっと輝かせられるようになろう」って決めました。 じゃあ大学卒業後はどうするのかと。 その時、私は絶対に社会に出て働こうと思いました。だって、いわゆる家元というちょっぴり珍しい家に生まれて、今のままでは他の世界のことをまったく知らないままだと思いましたし、母やその踊りを広めるためには、同じ世界にいては分からないと思ったんですよね。 だから、社会に出てから最初の1年くらいは集中的なお稽古をせず会社員としての生活を送りました。平日は本気で働いて、土日は休んだり遊んだり。もちろん「舞台に立つことが楽しい!」と思っていましたが、まずは会社員でと決めていたので最初の1年くらいは全然お稽古もせず。その背景を母には伝えていなかったので、ついに本当に踊りを辞めたのだなと思われていたはずです(笑) でもそんな生活を1年続けて、やっぱり私は踊りの世界にもいたい、自分もその世界に還元できるような人間になりたいなと思い踊りの世界に戻りました。 ・・・これから先の創っていきたい未来については後編へ [日本舞踊 中村流詳細] 文化・文政期に活躍した歌舞伎役者である三代目中村歌右衛門を流祖とする流儀。 歌舞伎の成駒屋の役者が代々家元を継承しており、歌舞伎所作の本筋を重視しているのが特徴である。平成24年より、先代家元七代目中村芝翫の遺言により芝翫長女二代目中村梅彌が家元を継承。宗家に九代目中村福助、相談役に三代目中村橋之助(平成28年10月より八代目中村芝翫)。 9月16日(金)23時~ NHK Eテレ「にっぽんの芸能」に中村梅が「たけくらべ」にて出演。 10月、11月歌舞伎座にて、三代目中村橋之助改め八代目中村芝翫、中村国生改め四代目中村橋之助、中村宗生改め三代目中村福之助、中村宜生改め四代目中村歌之助を襲名し、初の親子4人同時の襲名披露興行を行う。 http://www.nakamuraryu.jp/ Interview : 北村勇気・栗林スタニスロース薫
Photo : 土屋文乃 Place : 中村流お稽古場(神楽坂) |
NC Interviews伝統文化の道を歩む人生を紐解くシリーズ |