出会いの春、始まりの春 ー 桜咲くこの季節は、変化の季節。外資系大手IT企業で働きながら書家として活動してきた小杉さんは、5年目の春、会社を辞め書家としての夢に専念するため、パリへと旅立ちました。「ルーブル美術館から徒歩3分のところに住むんですよね」とワクワクした表情で語る渡仏前の小杉さんに、企業を辞めてフランスで挑戦するというその決断の背景と、フランスにかける気持ちをお聞きしました。 Interviewee Profile 小杉 卓(Taku Kosugi) 書家。1990年生まれ。栃木県出身。国際基督教大学(ICU)卒業。6歳より祖母の書道教室で書道を始め、中学から高校にかけて茅島貫堂氏、鶴見和夫氏に師事。大学卒業後、日本マイクロソフト株式会社を経て書家として独立。東京や栃木を中心に展示や書道パフォーマンス活動を行う。2017年よりフランス・パリを拠点に制作活動を続ける。 大学を卒業後、日本マイクロソフトに就職し、入社4年目で退社、フランスで書家の道へ進まれているとのことですが、簡単に自己紹介をしていただけますか? 祖母の書道教室で書道を始め、東日本大震災後のボランティア活動をきっかけに本格的に作品の展示やパフォーマンス活動を始めました。大学卒業後は、ITを活用した震災支援活動の経験から日本マイクロソフトに入社しました。同期や先輩方をはじめ素晴らしいメンバーと共に働くことができた日本マイクロソフトでの業務は、間違いなく刺激的でした。ただ、「書道」という一つの軸をさらに高いレベルにするためには、やはり書道に取り組む時間が圧倒的に足りていないと感じていたことも事実でした。国内外の様々な分野で活躍する知人の影響も大きく、4年目というタイミングで会社を辞め、書に集中することに決めました。 まだ今の日本だと、「そんないい会社を辞めてどうするの?」「社会はそんなに甘くないよ」といった風潮もあるかと思いますが、そのような意見はありましたか? 当然そういった意見、アドバイスもありましたね。一つの会社や仕事に一生務めるといった価値観をもっている人もまだまだたくさんいるし、会社を辞めるリスクを語る人もたくさんいる。でも僕からすれば、一つの会社に一生務めようと思っていることの方がリスクだと思います。日本マイクロソフトも創業してまだ30年ちょっとですが、IT業界に限らずどんな会社であっても、今後何十年も会社が存続する保証はどこにもありません。そういった中で、自分にとって「これができる」、「これをしたい」と思える分野に注力していくことの方が、より豊かな生き方ではないでしょうか。 会社で働くというのは一つの選択肢だと思っています。会社のビジネスはある意味では社会的な問題解決の「手段」ですよね。自己実現といったら漠然としていますが、あくまでも私たち「個人」にとっては社会的意義や自分の中で大切にしたいものを考えたとき、必要があれば会社に入ればいいし、必要なければ出ればいい。その時々で判断できればいい。そのときに自分が大切にしたいものや目標と、会社の理念やビジネスが一致していたら会社に入ればいいんです。会社で働くことが唯一の選択だと思って、生き方を縛ってしまうのは自分にとっても社会にとってももったいないのではないかと思います。会社を一つの選択肢ととらえて、社会的な問題への自分なりのアプローチや、自分が心から好きだと感じることに取り組む人が増えれば増えるほど、どんなコミュニティも会社も、そして社会全体もより良い方向に進むんじゃないでしょうか。 そもそも、書家としてやっていこうと思ったのはなぜですか? 大学生のころまで、僕が取り組んでいた書道は主に臨書でした。臨書というのは、古典や先生が書かれた書をお手本として書くというスタイルで、おそらく多くの方が経験したことのある書道・習字もこのスタイルですね。目指していたのはコンクールで賞をとれるような上手い字を書くことです。その頃は「歳とっても趣味として続けられたら」と考えていました。書道に取り組む姿勢を大きく変えてくれたのは、東日本大震災後のボランティア活動での出会いでした。ボランティア活動をしていた岩手県大槌町の避なん所でたまたま書道の話をしていたら、「せっかくだから何か書いてほしい」という話になったんです。それが、自分以外の誰かのために書く初めての作品でした。少し詳しくその作品について紹介させてください。 制作の話をいただいたものの、書く言葉も決まっていなければ、もちろんお手本もなくどんな作品を書けばいいのか悩みました。そんな中で制作の軸になったのは、その方々が一番大切にしている言葉を書こうということでした。大槌には鹿子踊(ししおどり)という伝統芸能があるんです。海と山に囲まれた大槌で、山の恵みに感謝する踊りです。ボランティア活動中に、実際にこの踊りを見せていただいたのですが、鹿頭(ししがしら)をかぶった踊り手が、笛や太鼓のお囃子にあわせて一心に舞う様子は本当に迫力があり、また、老若男女が参加するこの踊りに地域の伝統の重さを感じました。 Photographed By Takanobu MORI 作品制作のお話をいただいた方々が取り組まれているこの鹿子踊をテーマに作品を作ろうということで、「鹿鳴」という言葉を、伝統の重みを表現すべくテン書体(もっとも古い漢字体のひとつ)をベースにして書き上げました。その作品を見ていただく機会があり、「これは、本当に自分たちが考えている『鹿』そのものだよ」と喜んでいただけたあの瞬間は忘れられません。 僕にとってのそれまでの書道は、上手い字を書いた作品がコンクールで入賞すれば自分が嬉しい、というものでした。でもこのときは、自分以外の「人」を想って書いた作品を喜んでもらえた。おごった言い方かもしれないけれど、書道が誰かのためになるんだと感じた体験でした。 この体験から、もっともっと人の想いを大切にした表現や、言葉そのものが持っている力をというのを強く意識して書道に取り組むようになったんです。 書家として活動していく上で、何を大切にしていますか? 2つ、大切だと思っていることがあります。技術を高めることと、感性を言葉にすることです。 表現は「感性」だとか「パッション」だとか言われることもあるけれど、その表現を支える土台になるのは何といっても技術なんです。どんなに素晴らしいアイディアが思い浮かんでも、それを体現する技術がなければいい作品にはならない。より高いレベルでアイディアを表現するためには常に自分の技術を磨かなければいけないと思っています。そういう点から、書道において臨書は欠かすことのできないプロセスです。僕が書道をしている時間の8~9割は臨書をしている時間ですが、お手本に倣った表現を突き詰めることは、自分のアイディアをより緻密に表現するプロセスに間違いなくつながっています。 そして、私たちが「さまざまなことを感じることや感じ方」を「感性」とよぶとして、その「感性」を言葉にするプロセスを大切にしています。たとえば、目の前にすごく綺麗な景色が広がっているとします。綺麗だと思ったり思わず声をあげたりすることは、気持ちや身体の直感です。言語化するというのは、そこで、「まるで澄んだ川の流れのような空の色」が綺麗で「今まで見たこともない」から思わず声が出る、といったように、どのように綺麗だと感じているのか、どうして声が出るのかを言葉にすること。そうすることで、「では『水』に近い色を作ろう」とか「経験の初々しさ」といった要素を作品に反映できる。この「感性の言語化」のプロセスを深めていくことが、表現のアイディアに結びついていきます。 アイディアがなければ何も始まらないし、そのアイディアをカタチにすることができなければ表現者ではありません。さまざまな感性を言葉にすることと技術、この2つはより良い表現を追究していくための両輪といえますね。 そういった価値観がある中で、フランスに行くまでに何か行ってきたことや、これからやっていこうと思っていることはありますか? 先ほどお話しした「感性を言葉にする」ことにつながっているのですが、作品制作の依頼をいただいたときは、依頼主の方が感じているイメージや大事にしていることを話してもらうことを大切にしています。感覚・感性ってとても不明瞭なものですよね。だけど、その人が感じていることを少しずつでも話してもらうことでその人の感性が作品にたくさん反映されていくから、よりその人らしい作品になっていくんです。イメージをはっきりさせていくことと、そのイメージを書というカタチにすることが書家の仕事の一つだと思います。これまでの展示やパフォーマンスではそういったことを常に意識してきました。 これからフランスで、自分にとっての表現の軸となる文字はもちろん漢字なのですが、フランス語や英語の表現にも積極的に取り組みたいです。日本語でもほかの言語でもエッセンスは同じだと思っています。ただ、漢字は表意文字なのでカタチとして意味のある表現をしやすいのですが、多くの言語で使われているアルファベットは表音文字です。文字自体には意味がないので、漢字のように「見た目」に頼れないむずかしさがあります。そもそも文字のカタチが意味を持っているという感覚がないかもしれません。フランス語もアルファベット表記だから、きっとこの感覚を伝えるのはむずかしいはず。でも、それまでは「音」を表しているだけだった文字が、見た目によって意味を表現できるということが伝わる作品が作れたら面白いなと思っています。 フランスに行く理由を改めて教えていただけますか? フランスの音楽と絵が大好きなんです。高校生のときに始めたオーケストラでの演奏活動は今も趣味として続けているのですが、クラシック音楽の文化体系は書道と似ている要素がたくさんありとても興味深いです。中でもラヴェルやドビュッシーの音楽が好きなのですが、彼らが活躍したのは絵画の世界でもモネやルノワールに代表される印象派や、ジャポニスムが絶頂期を迎えていた時代なのです。ドビュッシーの代表作である交響詩「海」は、当時出版された楽譜の表紙に葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」が起用されています。面白いと思いませんか? 自分が大好きな音楽や絵画が、少なからず日本の影響を受けている。彼らが作品を創った街で自分も制作活動をしたい。それが、僕がフランスに行くごく単純な動機です。 もう一つは、フランスは感覚的なことがとてもうまく「言葉」になっている文化だと思うんです。例えばワインをとってみても、どこの土地のどの畑の、どの品種のブドウで、どんな味でというのがすべて言葉にされ、それを私たちは味わっています。文化を「言葉」で人に伝えることができる。だからこそフランスのワインもクラシック音楽も、これだけ大きな文化として世界に浸透しているんだと思います。それを、学びたいと思っています。 これは、旅行で数日間訪れるだけではきっとわからないことかもしれません。実際にその場でそのものを見て、聴いて、味わって、人と話をして、そのうえで感じたことをどうやって言葉にしているのかを体験したいし、身に着けたいんです。 日本の「わびさび」は、あえて多くを説明しないという文化ですが、表現として人に訴えかけるには、時として「言葉」が必要になります。言葉の芸術である書道に取り組んでいるので、なおさらその重要性を感じています。 フランスでの経験・学びを経て、目指すのは? 書家としての姿勢は日本にいてもフランスにいてもきっと変わりません。どこで制作活動をしていても、人の想いと言葉がもつ力を表現していきます。ただ、一つはっきりと目標にしていることがあります。パリコレに書道のデザインを持っていくことです。想いと言葉があしらわれた服を着たモデルの方々が、パリコレのランウェイを歩いている、というビジョンを実現させたいです。 ファッションやインテリアなど、人が関わるあらゆる環境で書道はその力を発揮できるはず。ファッションにおける世界最大の祭典の一つ、パリコレクションで、想いと言葉をよりリアルに表現していきたいと考えています。 それから、音楽との融合ですね。これは昨年、オーケストラとの共演というかたちで実現させることができましたが、フランスでの経験をもとにさらに深めていきたいです。クラシック音楽と書という西洋・東洋の表現文化の根本には、人間の営みという共通するものがあります。長い年月のなかでそれぞれの文化を確立してきましたが、これからの文化の在り方を探る中で、これらのコラボレーションは大きな意味があると思っています。 想いや言葉の力を表現していくことで書道という文化を、日本だけでなく、書道をやっている人だけでもなく、たくさんの人の心を突き動かすような文化にしていきたいです。 [Information:小杉卓]
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NC共同代表のふたりが、様々なフィールドで活躍する若者の人生と日本伝統文化が交差する瞬間を、「好き」という思いを軸に探ります。 |