前回に引き続き、石草流の奥平祥子さんにお話を伺います。 前編では今の奥平さんを形作ってきた価値観について語っていただきました。後編では、華道に注力をし始めてからの奥平さんの想いについて、詳しくお話を伺いました。 「あなたのやっていることはすごく大事」と言っていただけることは、華道って面白い!と感じた自分の人生すべてを肯定してくださっているのだと、私は感じるんです。華道の世界で一番充実感を感じるのは、どのような時でしょうか。 オークラのお客様からお声がけいただく瞬間です。オークラに育てていただき、オークラのお客様に育てていただいてきました。皆さまがいることで、自分で気がつかない自分自身の個性に気付くのです。 花を活けているとき、お客様は背中側にいらっしゃるので私からは見えません。それでも外国のお客様は姿が見えるとすぐに声をかけてくださったり、日本人の方のなかには「何度も何度も声をかけようとしたけれどもずっと声がかけられなくて、ようやく勇気をだしました!」と声をかけてくださったりします。「あなたがやっていることはとてもとても大切なことなのよ、頑張りなさい」、「このお花を見るためにここに滞在するのよ」とまでおっしゃってくださる方もいらっしゃいます。言い表せないほど嬉しくありがたいことです。 活けている時に、奥平さんの心の中に葛藤のようなものはあるのですか? 私は華道を仕事にしていながら、「極論をいえば、芸術作品はあってもなくても何にも関係のないものなのかもしれない」、「人によっては何の意味も見出さないものかもしれない」と思う刹那もあります。それにもかかわらず、一流のお客様と一流のサービスがあふれるこのオークラで、「あなたのやっていることはすごく大事」と言ってくださることが、私の華道のスタイルや、行っていることだけではなく、華道って面白い!と感じた自分の人生すべてを肯定してくださっているのだと感じられるんです。 オークラという場所でその場に居合わせた、偶然の出会いのなかで、ささやかな心の変化伝えようとしてくださるお客様の気持ちを本当にありがたく感じます。 本来の文化やアートは、ガラスケースの向こう側にあるものではなく、人の傍で生活に潤いを与え、励ましとなるものだと思っています。 海外でも活動をされていると伺いましたが、海外に興味をお持ちになったのはいつですか? 父の仕事の影響で幼少期に絵画への興味を持ち始めました。父の家系は7代続く神田の古書籍商で、父の兄が和書、父が洋書を扱っています。父はお客様に頼まれた稀覯本を入手するため、インターネットもないころから、欧米のあちこちに電話したり、オークションに出向いたり、渡航したりするという仕事をしていました。 そのため私もくっついて海外へ行く機会が多かったのです。自分のことは自分でできるようにという教育方針だったので、訪れる国で話される言語での、1〜10までの数字や基本的な挨拶は覚えるようにしていました。 海外生活の中で驚いたことや今でも覚えていることはありますか? ヨーロッパには無料で入れる美術館がたくさんあります。鑑賞している人の年齢層が幅広いことや、常設展であっても混むほど、見に来る人が多いことも日本と違う点であると気付きました。衝撃的だったのは、引率の先生に連れられた子供たちが美術品を囲んで床に座り、絵を描いたり話を聞いたりしていたことです。絵を描くと言っても模写ではなく、絵画に描かれた人物が持っているパンだけを丁寧に書いている子がいたり、寝っころがりながらいくらでも時間を使って自分の視点で描いている子がいたのを覚えています。日本の美術館では、静かに落ち着いて、行儀よく観るというのが作法のようになってしまっているし、そもそも美術館は子供向けではなく、”大人が行くところ”だと思っていました。芸術に対しての考え方や捉え方、芸術と生活の関わり方が日本と違うことに驚きました。 海外での経験は、今の奥平さんにどのような影響を与えていますか? アートと人の距離が近いオークラに幼少期から通っていたのはとても幸福なことでした。今は建て替え中ですが、オークラの本館では、お手洗いも壁一面に絵が飾られソファセットが置かれ応接間のようなしつらえでしたし、全館がアートに溢れています。本来の文化やアートは、ガラスケースの中に閉じ込めて触れられないものではなく、日常のすぐ隣にあり、生活に潤いを与え励ましにもなってくれるものなのです。作品を観ることによって自分自身と対話ができ、自分の年齢やコンディションで感じられるものや得られるものが変化する、鏡のような役割を持っています。 最近は「○○展が人気!美術館に長時間の行列!」というニュースが流れることも増えました。長時間並んで「これは大変貴重で高価な作品だ」「ほら、国宝だって!」とイベント感覚で鑑賞するのも良いかもしれませんが、もっと気軽でもいいと思うんです。オークラにある文化やアートは、ガラスケースに閉じ込められたり、特別な演出をされていない、そのままの姿です。同じ空間の中で穏やかに、同じ時間を生きている芸術を創り続けたいと思っています。 このような考えは、もしかしたら幼少期に海外の美術館で見た光景に紐づいているのかもしれません。 本質は変わらなくとも、時代が変われば形や伝え方は変わるはず。 今後、海外へ華道を広めていくことはお考えですか?また、広めていくために必要なことはどんなことでしょうか? 日本人の特性のひとつとして、外から評価されてようやく価値を理解するということがあります。2020年のオリンピックの時に海外の方に日本のことを聞かれ、「やってないからわからない」とか、「全く知らないんです」と言う人がたくさんいる事態は避けたいです。今は、戦後間もないころの様子を知る方々の記憶を、受け継ぐことのできる最後のタイミングです。日本の価値を再定義しようとする、日本人が日本のことを改めて振り返って学び直す最後のチャンスなのではないでしょうか。 華道では、日本人でも理解の難しい「四方見(※1)」・「立花(※2)」などの専門用語が、説明不十分のまま、技術もブラックボックス化していることが多くあります。海外へ伝える際に、単純にそれらを「Shihoumi」「Tatehana」などと表記しても意味が伝わりません。根拠や経緯のもとに生まれた言葉は、子供にも分かるような、文脈上で意味の伝わる明快な言葉や物語にし、その上で正しい英語に変換したいです。 ※1 四方見:お華の正面を決めずに360度どこから見ても美しく見えるように活けること。 ※2 立花:いけばなの古典形式。器の中央に枝をたて、その前後左右にさらに枝を配する活け方のこと。 日本文化に興味を持っている方、すでに学んでいる方は世界中にいらっしゃいます。彼らにどのような機会を提供すべきだと思われますか? 多くの選択肢がある中で、日本文化を選択していただけることは本当に素晴らしいことです。最近は特にそういう方が増えてきたようにも思います。問題は、伝える側がどう応えるかです。 形骸化した文化のまま体験させて、これが現存する華道だと伝えて終わってしまうのではとても勿体無いと思います。私たちは、時代も世代も変わりゆく実感の中で日々生きています。それにも関わらず、日本文化だけは昔と同じことを同じように学ぶことは出来ませんし、大きな時代の変化を迎えている私たちのような境目の世代が、再構築していく必要があると思うのです。「不易流行」という言葉は、物事の変化を頑なに固辞するのではなく、あらゆるものが変化したあとで変わらずに残った結果が、必然として骨や軸となり受け継がれていくという意味です。変えていくべきもの、変わらずに残るべきものの伝え方や形について、花と対峙するときのように、自分や他者と共に対話をしながら考えていかなければいけません。 すでに日本文化を学びたいと思っていたり、趣味とされている方以外の方に、日本文化を日々の選択肢に入れてもらうためは、どんなことができるでしょうか? 現在私は、全く異なるジャンルとのコラボに挑戦しています。できるかできないかを問わず、まずはやってみることが大事という心構えで、ヴァイオリンやコントラバスの奏者の方との語りを含めた共演など、今までの華道では無かった組み合わせに取り組んでいます。 母は家元を襲名した2012年に先駆け、フランスの国立現代舞踏センターのトップである総合芸術監督と一緒に舞台を創りあげ、ヨーロッパ周遊公演をしたことがあります。フランスは国策のひとつとしてバレエの学府を打ち出しており、クラシック、コンテンポラリーどちらの教育機関も多く持っています。決まった型のないコンテンポラリーダンスを専門としていた総合芸術監督の女性は、創造性の追求の中で日本の文化に興味を持ち、最終的に華道に行き着いたそうです。 その後二人は半年ほどパリと東京を行き来し、話し合いながら作品を構築していきました。もちろんバレエと華道のコラボも今までではありえないことですが、花の活け方にもこだわりました。母と私は、池坊さん(華道発祥の最も古い流派)の骨法をまとめ「最後の立華士」と呼ばれた岡田幸三先生という方の晩年に師事していたので、室町時代の格式高い古典形式の花を活けるプロセスの全てをお見せする「花所望(はなしょもう)」を皆さんに観ていただくことにしました。用いる道具も所作も現代の華道とは大きく異なります。 エルメス財団のサポートにより、パリ芸術祭に始まり、ヴェルサイユ宮殿での公演、スペイン公演と周遊しました。特別な機会に来ていただける日本の方も多く、またどの現地の方々からも「このようないけばなは見たことがない」と賞賛していただくことが出来た、素晴らしい機会でした。 さらには、私の紆余曲折したキャリアも自分ならではの他ジャンルとの架け橋に役立っています。文化の感性やその造詣は、”才能”とか”センス”とか”もって生まれたもの”だと思われる方も多いのですが、クリエイティブなことはどの仕事にもどんな人生過程においても、また遊びのなかにでも必要ですし自然に生まれてくるものです。もともと華道は、戦を生業とした武将たちが、諸々の制約条件のなかで勝つための訓練法でした。適材適所のチーム作りと自分なりの勝ち方をプロトタイピングするために役立っていたので、男性のトップリーダーにあたる人びとが好んでたしなんでいたのです。いま、ビジネスの文脈において、日本人らしいイノベーションの作り方や付加価値のつけ方を見直すという動きから、華道という古より伝わる体験型の知恵を、いろいろな業界の方にご紹介してご好評をいただいております。 「私にもできるかも!」と思えるような華道を創り出せているか、そんな華道を伝えられているかどうか。奥平さんがこれからも華の道を歩まれる中で、一番大切にしたい価値観とはなんでしょうか? 一番大切にしたいのは、「肯定力」です。 「ありがとう」という言葉をもらったり、背中を人に押してもらえたりすることは、大きな喜びや励ましになりますよね。こうしてインタビューに来てくださるのも、私に対しての肯定であり贈りものだと思うんです。「自分に対する肯定」と、「向かい合った人・ものに対する肯定」が、より多くの長所を見つけ出し、短所も個性として生かしてしまえる力となります。 強烈な興味関心とは別に、「できるかもしれない」、「やってみよう」という感情の源泉には、こういった自分に対する肯定があるのだと考えています。何か新しいことに取り組むとき、なかなか自信がなくて進めないことがありますよね。遊びであれ仕事であれ、完璧な条件が揃うことは難しく、何か足りなかったり、不測の事態が起きることの方が多いですが、だからこそ成長できるのだとも言えます。そんな時に勇気をくれる「肯定力」は、人が文化文明を発展させてきた歴史の底流にずっと存在する、シンプルでありとても重要な動力なのではないかと思っています。 華道のプロセスは、同じものはひとつとない自然物である花にじっくりと向き合い、良いところや個性を見つけ出し、時間の経過を見据えてそれらを組み合わせ、顧客の満足をも超えるつもりでまとめあげていくことにあります。このプロセスを繰り返すことで、目に見えないものと共存し自然と共生してきた、日本人らしい豊かさを培っていけるとしたら、単に文化に触れて気分が良くなったり癒されたりすること以上に、人々にとって良い連鎖や良い伝染を生み出せると思うのです。この華の道を生きながら、その実現に貢献できたら嬉しいです。 『石草流』は、世界を迎える日本の玄関として建てられ「1万8000坪、まるごとアート」と称されるホテルオークラ東京創業より今日に至るまで、その玄関やロビーなど全館あらゆるところの生け花を手がける流派です。 創始者・初代家元は、岩田清道。1962年、ホテルオークラ開業において、内装・家具・備品など端々にわたるデザインを手がけた、意匠委員会の1人。 法則や花型をきめて、そのなかに花をあてはめていけることはせず、花や枝のもっている美しさや、日本古来の風習をふまえ、野山にあるが如く自然を写す作風が特徴。川端康成氏からも「岩田女史の花ほど日本の自然の心を流露した花はないかと思へる。」と賛辞を送られています。 http://sekiso-ikebana.tokyo Interviewers : 北村勇気・Kaoru
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NC Interviews伝統文化の道を歩む人生を紐解くシリーズ |