しとしとと雨の降る土曜日の正午過ぎ、雨の雫が木々の葉に滴る音を心地良く感じながら―漆芸家の室瀬智彌さんのご自宅兼アトリエにおじゃまして、お話を伺ってきました。重要無形文化財(蒔絵)保持者の室瀬和美さんをお父様にもち、幼少期から生活の中に漆芸の在る生活を過ごしてきた室瀬智彌さんの「この先10年くらいは人に会ったりいろんな話をするのではなく、自分の作品を創る時期。」とご自身を追い込みながら漆芸に向き合われるお姿を拝見することができました。 Interviewee Profile 室瀬智彌(Tomoya Murose) 漆芸家 1982年 東京生まれ 2006年 早稲田大学政治経済学部政治学科 卒業 2008年 輪島漆芸技術研修所専修科 卒業 小森邦衛氏に弟子入りし、漆塗りの技術を学ぶ 2009年 東京に戻り、父・室瀬和美の元で蒔絵、文化財修理の技術を学ぶ 2010年〜「作家によるうるし・おわん・うつわ展」毎年出品 2013年 フィンランド・ヘルシンキにて「Urushi by Tokanokai」展 開催 2017年 第34回日本伝統漆芸展 新人賞 第64回日本伝統工芸展 新人賞 現在 目白漆芸文化財研究所 所属 漆芸とは ウルシノキから採れる樹液(漆)を用いた工芸技法。漆は固まると水分や酸、アルカリに強い塗膜を作るため、木製品などに塗って防水性を高めるなど、日本では縄文時代から利用されてきた。表面に塗るだけでなく、接着剤としても用いられるほか、漆で絵を描いて金粉を蒔く「蒔絵」や、貝を貼って装飾する「螺鈿」など、様々な加飾技法が現在に伝わっている。 何もないところから1を生み出すという代わりのきかない尊い仕事、楽しい仕事がしたいという結論にたどり着いた。普段はどのように漆のお仕事をなさっているのでしょうか。 文化財の修理など工房としての仕事と、自身の作品づくりを並行して行っています。そう遠くない将来に父から引き継がなくてはいけない仕事もある一方で、なんとか自分の制作の時間を確保したいので、なるべくプライベートの時間に仕事がはみださようにしていますが、そうは言っていられないところもあり、ずっとせめぎあいをしているような状態です。 大学卒業後からこの道に入られたと伺いましたが、幼少期からこのお仕事をすると考えていたのでしょうか。 仕事にするとまでは思っていませんでしたが、少し意識はしていたかもしれません。 自分の家の仕事を認識したのは、学校で親の仕事を説明した時だと思います。特に小学生は「漆」と言っても分かってもらえませんe。おそらく友達の9割は「室瀬の家は陶芸家だ」と思っていたのではないでしょうか(笑)。自分の親の仕事は、友達に全然分かってもらえないのだなと感じる一方で、知ってほしいとも思っていました。 他の家とは違う、といった感覚があったのでしょうか。 そうかもしれませんね。 例えば、夏休みに粘土で拳を作るという宿題が出たんです。その際に親から言われたのは、「形の捉え方はこうだ」とか「メリハリが大事だ」といった細かいところでした。知らず知らずのうちに、美術の基礎を刷り込んでもらっていたような気がします。 とはいっても、普段はファミコンや木登り、サッカーなど毎日幼馴染とのびのび遊んでいましたよ。 では、いつ頃から「これが自分の仕事になるかも知れない」とはっきりと思い始めたのでしょう。 幼いころから両親の美術家目線の会話を聞いていて、もっと知りたいという気持ちが自然と現れたのだと思います。例えば、よく両親は「デッサン力」という言葉を使っていたのですが、僕は全然意味がわからなかったんですよ。でも、そんな自分のわからない世界に両親は生きていて、なんだか面白そうにしている。知らないまま生きていってもれはそれでいいのかも知れないけど、でもやはり、それがどういうものなのかを知りたいという気持ちがどこかにありました。 そうだったのですね。ご両親のお仕事を知りたくて、学生時代にしてみたことはありますか? それは特にありませんでした。大学では政治学を専攻し、様々なサークル活動等も行っていて、すごく美術に興味があったというわけではないんです。実は僕はどちらかというと、よくものを落としたりするような不器用な方だったんです。自分でも、そして周りも、僕がこういう仕事をするとは思っていなかったと思います。ただ、父親の仕事に興味はありましたしこの環境を生かして、世の中と親の仕事をつなぐ役割が担えないかという想いがありました。 どのようなきっかけで、外に広めていくことに興味を持ったのでしょう? 小学5年生の頃、初めて親の仕事でアメリカに行ったことがとても良い印象として残っているんです。父も楽しそうでしたし、自分の知らない世界がこんなにあることを知ってとてもわくわくしました。外に伝えていくこと、そして伝えていけることがとても大切なことなのだと感じました。 そのときのご経験が、漆の道に進むことに影響を与えているのですね。 そうですね。大学3年生の頃に、父親に漆の道に進みたいと伝えたんですよ。何もないところから1を生み出すという代わりのきかない尊い仕事、楽しい仕事がしたいという結論にたどり着いたのです。 自分の見ることのできる世界を疑い続けて、常に更新し続けなければ、心に響くものは生み出せない。 大学卒業後に輪島に行って修行なさったとお聞きしましたが、どんなことをなさっていたのでしょうか。 輪島の研修所では、一年目に基礎を学び、二年目になると自分でデザインを考えた作品を作ります。。ああ、これを一生やって生きていくんだなあ、と思ったのを思い出しました。 小綺麗に作ったものが良いということでもないのだなと悩みました。思っていた世界観を形にできずにがっかりすることも多かったです。 その時に作りたかった世界観は、どんなものだったのでしょうか。 今にも繋がっていますが、たぶん奥行き感や空気感を作りたかったのだと思います。作っている時は必死なのですが、作品が仕上がって、少し引いて見られるようになった時に、全然思ったものと違い、がっかりしてしまいました。それも今はいい経験だったと思います。作りながら客観性を持って物を見ることを心掛けないといけないのだなと感じました。 今思うと、深みが足りなかったのかもしれません。当時は自己主張や自己顕示欲が前面に出ていたのですが、それでは空気感も世界観も、結果として自分の思った通りのものを出せないんです。繰り返し作品作りを続けるうちに、生きてゆくための自己主張をしつつも、作品として良いものを作りたいという思いが強くなりました。 室瀬さんがおっしゃる「深み」とは、何でしょうか。 訴えかけてくるもの、感動のあるものです。そんなものを作るためには、自分の見ることのできる世界を疑い続けて常に更新し続ける必要があります。自己主張するだけの作品ではなかなか心に響くものにはなりません。 第64回日本伝統工芸展出品作品『乾漆合子「風はどこから」』 生きるということはどういうことか。 |
NC Interviews伝統文化の道を歩む人生を紐解くシリーズ |