いけばなの根源である池坊に生まれ、いけばなと共に育った専宗さん。いけばなと写真の共通点や、これからのいけばなの在り方について、お話を伺いました。 Interviewee Profile 池坊 専宗 華道家、写真家。 華道家元池坊の四十五世家元池坊専永の孫として京都に生まれる。母は次期家元の池坊専好。京都教育大学附属高等学校卒業後,慶應大学理工学部入学。その後東京大学法学部入学。東京大学法学部卒業時に成績優秀として「卓越」受賞。東京日本橋三越本店・京都高島屋などでいけばなを多数出瓶。同時に自分のいけばなを撮影し写真としても発信。東京で講座「いけばなの補助線」を開催する傍ら,いけばなの価値を伝えるため講演やデモンストレーションを行う。信条は「光を感じ,草木の命をまなざすこと」 Facebook: ‘Senshu Ikenobo 池坊専宗’ Instagram: @senshuikenobo_ikebana @senshuikenobo_photography 将来の夢はカブトムシだった幼少期物心ついた時からいけばなが周りにあったと思うのですが、どのような印象を持っていましたか? いけばな発祥の地と呼ばれ、池坊が代々住職を務める六角堂が京都の自宅の近くにあり、子供の頃から遊びに行く感覚で頻繁に通っていました。スタッフさんにサッカーの相手をしてもらうなど、池坊のいけばなに関わる方々に育ててもらい共に過ごす環境でした。いけばなの家で生まれ育ったものですから、むしろお花屋さんのブーケやフラワーアレンジメントにはあまり触れる機会が無かったんです。それくらい、いけばなはいつも身の回りにある存在でした。 子供の頃の将来の夢は何でしたか? 小さい頃は、実はカブトムシになるのが夢でした。クワガタよりも、一本角のカブトムシが大好きでかっこいいなと思っていたんです。でも、サナギになるのが難しいなぁと気づいて、ウルトラマンに路線変更しました。だけど今度は、巨大化するのが大変だ。それから、人間として大人になろうと決意しました(笑)。 いけばなの家に生まれたことについて、どのように意識していましたか? 伝統文化業界に共通していることですが、いけばなの世界でも高齢化が進んでいます。いけばなをもっと若い人達に広げ、盛り上げたいと期待を寄せる方々にとっては、長男である私はある意味、いけばなの未来を託す象徴であり希望であるということは、子供ながらに感じていました。 池坊のいけばなに携わる、いけばなを愛する方々のことはもちろん好きでしたが、いけばなそのものに対して、今ほどの情熱を得ることができたのは、少し経ってからのことです。 今も昔も、普遍的なものは何か大学時代には、いけばなをテーマとした動画なども制作されていらっしゃいましたね 2012年、室町時代の文献に池坊が記載されてから550年を記念した、「家元三代によるデモンストレーション」のイベントがありました。その際、私は池坊に携わる多くの若手と共に制作を行なったのですが、せっかく集った仲間とその後も活動できるよう「花の桃李会」と名付けた会を立ち上げました。個々にお稽古に通っているとなかなか知り合えない若手同士が繋がれる、良い機会となりました。動画は、私の大学卒業と同時に会を解散するのを機に、皆で制作したものです。池坊のお花を習っている桃李会のメンバーで、絵コンテから制作するのは大変でしたが、従来の池坊の真面目な発信とはテイストの異なる映像で、多くの方に観ていただくことができました。 写真家としても活動され、いけばなの写真を多く発信されています。どのような経緯で始められたのでしょうか? いけばなの記録として撮り始めたのがきっかけでした。最近のデジカメやスマホで撮れば、誰でも綺麗な写真は撮れます。だけど、心に触れる写真は撮れる人と撮れない人がいる。それは、写真は感じたものしか写さないからです。良い写真を撮るためには、心の感度を高める必要があるのです。自分が交わった植物の命、その時感じた時間の流れ・空間を残そうという思いでシャッターを切っています。つまり、良い写真が撮れたということは、私自身が豊かな時間を過ごすことができたということとイコールなのです。 いけばな×写真の可能性をどのように感じていますか? 私にとって、花を生けて写真を撮らないということはありえず、いけばなと写真とをセットとして考えています。同時に、いけばなも写真もどちらも過程が大切であり、結果としてできるいけばなや写真そのものは目的ではありません。私にとって、いけばなは植物との対話の時間です。植物に向き合うことで、その命の強さを感じようとしています。写真を撮るときにも、植物の命のあり様や周りの空間・時間を感じようとしています。やっていることはいけばなも写真も同じ。形式は違えど、一続きのプロセスだと言えます。 いけばなは移ろいゆくもの、写真は瞬間を記録するものという違いは、どう考えていますか? いけばなでも写真でも、普遍的なものをいつも捉えようとしています。生まれて、栄えて、絶えて、また生まれるという命のあり方は、人々の生活が変化しても昔から変わらない普遍的なテーマです。一方で写真も、今も昔も心に刺さるのは、確かにそこに存在していたということが信じられる写真だと思うのです。ですから、ただ美しいだけのもの、今消費されるだけのものとしてではなく、ずっと残り続けるような普遍的なあり方を残せないだろうかということを、いつも考えています。 効率や利便さが当たり前の現代で、植物の命と深く交わるということ現在はどのような活動を中心に行っていますか? 京都と東京を行き来しながら、生徒さんへのお稽古と、経済界など外部の方への講演とをメインに行っています。自分のいけばなや写真を通して、また言葉を介して、それぞれにいけばなの魅力や価値、私自身が信じていることを伝えています。コロナの影響で、いけばなを行う人にとって大きな晴れ舞台である花展が多くキャンセルになってしまったのは悲しいことです。 これからのいけばなのあり方について、考えをお聞かせください 今のいけばなを担っているベテランの先生方は、自信を失っているように見えます。今のいけばな人口の多くを占めているのは、皆が花嫁修行としてお花を習っていた時代を生きてきた方々ですが、彼ら彼女たちのいけばなへの思いは若者にあまり届いていません。今の時代、世の中には様々なエンターテインメントがあふれています。簡単に安く手に入る娯楽に対抗しようとして、自分たちが人生をかけて信じてきた、いけばなの価値を見失いかけているのではないかと感じます。いけばなの魅力というのは、植物の命と交わることだというところにつきます。命ある存在と向かい合うことは、手間も時間もかかります。自分が大切な人と過ごす時間は代替することのできないもので,より豊かであってほしいと誰もが願うのと同じように、植物の命と深く関わることは、効率や利便さを追い求める日常では得ることのできない経験となります。競争や経済原理が支配する社会では、命と命が交わる機会が希薄になり、自分自身の感じることに向き合いづらくなっています。その中で、植物の命と交わることで得られる喜びや感動を通じて豊かな時間を提供するいけばなの存在価値は、これから一層高まっていくことでしょう。 Photo: 池坊専宗
Interviewer: Kaoru |
NC Interviews伝統文化の道を歩む人生を紐解くシリーズ |