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02 新たな挑戦をしながら「本質」を伝える|一中節 浄瑠璃方 都了中

11/25/2016

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「明日から宮﨑の高千穂に行こうと思ってて。日本の音楽の原点があると言われる場所なんですよ。」
そう語るのは今回インタビューさせていただいた都了中さん。一中節宗家 十二世 都一中さんの息子として生まれ、現在は浄瑠璃方として国内外で様々な舞台に立たれています。
今回は、そんな都了中さんに今後進めていきたい新たな挑戦と、ご自身が今考える「本質」について伺ってきました。
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Interviewee Profile
都了中(Ryochu Miyako)
一中節 浄瑠璃方
幼少の頃より、日本の伝統音楽である一中節を父、及び先代都一中について稽古を始め、1997年都了中の名を許される。定期的に自身の演奏会「都了中の会」を主催。演奏会、舞踊会に於いて浄瑠璃方を務め、海外(ベルリン・ニューヨーク・サンクトペテルブルク・上海など)での公演にも多数出演。演奏活動の他 講演、ラジオ出演、浄瑠璃指導など。スタジオジブリ映画「千と千尋の神隠し」イメージアルバム(CD)に
歌で参加
※「浄瑠璃方」とは、三味線と共に物語を語る太夫(たゆう)のことを指す。

​一中節とは

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「一中節」は、三味線音楽の中でも特に精緻で優雅な音楽と言われており、江戸時代より300年以上にわたって受け継がれてきました。音の数は少なく、節や三味線は柔らかくてらうことがないので初めて聴くと地味にも思えることがあるかもしれませんが、その一音一音に深みがあり、きめ細かさや、音と音との間の静寂が独自の魅力。江戸時代には誰しもが聴き稽古するほど、一世を風靡し、町人の上流階級に愛好され楽しまれてきました。

​完成するなんてことは無くて
だからこそ、常に新しいことの積み重ね


国内外での公演やお弟子さんへのお稽古など日々一中節に打ち込んでいらっしゃる中で、今はどのようなことに時間を割かれているのでしょうか。
 
今は大きく3つのことをしています。
・舞台に出る時間
・自分の稽古の時間
・教える時間
 
この3つですが、基本的に流動的で、これはこの時間、あれはその時間、と決まっていないんですよ。舞台とお弟子さんへのお稽古はもちろん時間が決まっていますが毎日あるわけではないし、自分のお稽古の時間をどう取るかがとてもむずかしいところなんです。場合によっては一日中やることもあるし、一日2〜3時間のこともある。



3つの時間のやりくりをする上で、心がけていることはありますか。

まずは一番近い舞台を目指して稽古しますけど、本当のことを言うと、いつもどこか未完成のまま舞台に出ている状態なのかなと思っています。もちろんできる限りのことをしているつもりですが、やはりどこかは至らないままなんです。 どんな世界もそうなのかもしれませんが、どれだけやっても完成するなんてことはないからなのだと思います。
​
だからこそ、常に新しいこともやらないとなって考えていて。今度の舞台でやらないといけない曲以外の曲も日常生活に入れて勉強していくようにしなければいけないと思っています。 新しいことの積み重ねが、完成までの残り数%を詰めてくれる。ただ、目の前の舞台とは直接関係のない新しいことをやり続けるのはすごくむずかしいですけれど。

​「好き」が僕を突き動かしてくれた。


一中節を始めて30年ほどと伺いましたが、了中さんが一中節を始められた経緯を教えてください。
 
生まれた時から父が三味線弾きだったので、3歳からお稽古をしてもらっていました。物心ついた時にはすでに日常でしたね。
幼稚園とか小学生の時はアニメの歌が大好きで、学校からの帰り道とか自転車に乗っている時に歌い続けているような子供だったんです。「ドラゴンボール」とか「らんま1/2」とか、キャラクター1人1人が歌っている曲までも全部歌って覚えていました。
幼少の頃は、一中節もその大好きな歌の延長線上にあるものでした。

今でも覚えているんですけど、歌が大好きな自分としてすごく悔しかったんですよ。アニメの歌は簡単に口から発することができますけど、一中節は全然できなくて悔しくて、できるようになりたいと思ってやり続けたような気もします。

 
 
浄瑠璃など周りで学ばれている方はあまりいないと思うのですが、学生時代はどう思いながら取り組まれていたのでしょうか。
 
父からは「自由にしろ」「好きな仕事があればそっちに進んでいい」と言われていたんです。「好きでないのなら、むしろ一中節に失礼だから」と。
実際に道を決めたのは高校生くらい。曲の内容や細かいことを教えてもらいはじめて、より一層「一中節が好きだ」「一生楽しめるかもしれない」「一生を懸けてやりたい」と思ったんです。

今思うととても早かったなと思うけれども、17歳の時に『都了中』の名前を頂いて、「一中節 浄瑠璃方」としてプロとして舞台に出始めました。

 

高校生の頃に「決断する」というのはとても大きなことだったと思いますが、『一生を懸けてやりたい』と思った理由は何でしたか。
 
ちょうどその時期、父と二人でアメリカに旅行に行った経験があるんです。父の休暇の旅行だったのですが、その期間中 知り合いのアメリカ在住の日本人の方が家に呼んでくださり、サロンパーティーのような形で小さな演奏会を開いてくださいました。現地のアメリカ人の方と日本人の方、合わせて30人程いらしていたと記憶にあります。解説を英語に通訳して頂いたあと、その時は父が弾き語りで演奏をし、僕はただ側で聴いていました。

演奏後、聴いていた人たちが皆感動されている様子で父の周りに寄ってこられて、興奮した様子で感想を伝え、握手を求める方もいらっしゃいました。その様子を間近で見ていて、自分も日々稽古していること、向き合っている音楽はこんなにも人に喜んでもらえる可能性のあるものなのだとひしひしと嬉しく感じました。またその時にミュージカルやオーケストラなど様々な素晴らしい芸術に触れて本当に感動しまして。
ただ一中節も今観てきたものに引けは取っていないとも、その時感じて誇らしく思いました。それらの経験が『一生を懸けてやりたい』と思った大きなきっかけになりました。

 
​
お父様である都一中さんは三味線を弾かれているのをよく拝見しますが、了中さんはいつも語られているイメージです。
 
僕が三味線弾きになるという道はあったと思いますが、自然と「浄瑠璃方」を選び太夫となりました。ずっと、声を出すことがとても好きだったから、自然な流れでした。
​
基本的には三味線でも語りでもどちらか専業になるんです。ただ、浄瑠璃を語るためにはもちろん三味線も学びますし、お弟子さんに教える時やとても小さな会の時には弾き語りもしますが、舞台では専業です。
中には両輪でやる方もいますが、それはかなり珍しいです。まずバランスがどちらかに寄るし、両方極めていくのは険しい道です。例えると、日本ハムの大谷選手みたいな感じ。野球で投げる/打つの両方ができる人はほぼいなくてどちらかに寄ってしまうけど、大谷選手はどちらもできてしまう。そんな方、どんな世界でも珍しいのでしょうね。

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「悔しさ」と「嬉しさ」の量が年齢を重ねる度にどんどん増えてきて
これが、僕が一中節を続ける理由


一中節をなぜ幼少期から今に至るまで続けられているのでしょうか。
 
「好き」という気持ちが前提としてありながら、続けているのには2つの理由があります。「悔しさ」と「嬉しさ」です。年齢を重ねれば重ねるほど、この2つがどんどん積み重なってくるんです。
 

どういった時に「悔しい」と思われるのですか。
 
まずは「悔しさ」。そもそも、ほんとできないことばかりなんですよね、イメージしてもできないことが多すぎて、何度やってもできないけれども、その完成形に近づいていきたいと思ってやり続けています。
以前はできるようになりたかったことが、気がついたらできるようになって、でも、その頃には自分がこうしたいという理想はもっとレベルが高くなっていて。目指すところ・理想ってどんどん上がっていくんですよね。全然近づけないんです。だから、もっとやりたくなってしまう。追求したくなってしまう。

 

では、「嬉しさ」はどんな時に感じるのでしょうか。
 
ありがたいことに「私の地元で公演してください」という方がいたり、「毎日CDを聴いています」という方もいて、毎日聴かなくていいですよ、他のも聴いたほうがいいですよとも恐縮しちゃうのですけれど。とてもありがたいし嬉しいですよね。
​
三味線音楽はいろいろありますが、一中節はとても静かな、間が多い、静寂を大切にする音楽でむずかしく感じられることもあると思うのですが、皆様真剣に一生懸命聴いてくださって。「今まで聴いたことのない音楽でした」「また演奏の機会には必ず教えてください」とおっしゃっていただけるのはとても嬉しいですよね。
​
これが、僕が一中節を続ける理由の1つです。

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本質を伝え続ける
それが、僕ら継承者たちのやること


海外での反応はいかがですか。
 
今まで、ニューヨーク・ボストン・サンクトペテルブルク・上海・ケルン・ベルリン等、父に同行してのことが多いですが、様々な場所での公演に出演の機会をいただきました。
もちろんどこも同じ受け取られ方をするわけではありませんが、印象深いのは2014年のベルリンです。

ベルリンにある日独センターで行われた公演だったのですが、日本の文化に興味がある方が多かったのだとも思いますが、スタンディングオベーションで「とても心地よかった」「独特な静寂が素晴らしかった」という音楽に対しての感想に加え、「所作が美しかった」「佇まいを私も真似したい」という、三味線音楽に限らず日本の文化に共通するものもありました。

僕の周りでも海外で公演するという方を度々聞きますし、2020年が近づくにつれて更に増えれば良いですよね。

 

様々行かれてきた中で、海外に対して何を伝えていくべきか、どうお考えでしょう。
 
常日頃している演奏をそのまま真っ直ぐに届けたいと思っています。
最近ですと海外の何かとコラボレーションをしたり、元々の曲を変えて別のものに取り込んだり取り込まれたりといった新しいことも行われています。新しい試みを続けることは本当に大切だと思いますし、必要な場面もあると思います。

​ただ初めて聴かれる海外の方には、まずは普段している演奏をそのままお伝えしたいと僕は考えています。一中節の本来持っている魅力、純粋な一中節の本質を感じて頂きたいと思うからです。それは長い時間をかけて先人達が繋いでこられた中に大切な要素があり、それをより伝えられるように自分を磨き続ける挑戦でもあります。

例えば場所の設えや照明など空間には趣向を凝らしても、曲自体を変えたくはないと思っています。仮にそのままお伝えしてお聴きになった方がつまらないと感じればそれで良いかなと。理解してもらう為に相手を思う優しさは必要ですが、相手に合わせ過ぎると大切な部分が伝わらなくなる危険性もあります。ただ何も事前説明なく聴かれても理解するには現代では日本の方でも中々むずかしいでしょうし、特に海外の方には日本語という壁もあります。

今まで海外でも演奏をさせて頂き思うのは、曲についての解説をしたり、詞の内容を訳したものを演奏中リアルタイムで表示することで、これにはこういう意味があって、こういう歴史があってという背景や物語の内容をお伝えしてからお聴き頂いたら、お客様も自然に曲の世界に入ることができ喜んで頂けた印象があります。

 

了中さんが思う、一中節の「本質」って何でしょうか。
 
例えば曲の中で春を語っている時、浄瑠璃の節の抑揚や三味線の音によって春の空気を感じて頂けること。また登場人物の心情が嬉しい時には嬉しさを、悲しい時には悲しさを同様に浄瑠璃や三味線で感じて頂けること。曲の景色や心情を聴いている方と浄瑠璃や三味線によって共有できることが本質だと考えています。
​そこから当時の日本人の感性の美しさを追体験して頂けたら嬉しいですね。

高校生の時にアメリカで『一生を懸けてやりたい』と思ったあの頃から変わらず、本質は国問わず伝わるはずだと確信しています。「そのものの価値を追求し続けながらより良い演奏・伝え方を創造していく」「何を変えて何を変えないか」僕らが考え続けなければならないテーマですね。

[一中節 詳細]
一中節は、江戸浄瑠璃系三味線音楽の源流。初世都太夫一中は慶安三年(1650年)に京都明福寺住職の次男として生まれ、当時京都で盛んだった様々な三味線音楽を次第に統一し、のちには江戸にも進出して一中節を確立した。江戸時代、一中節は一世を風靡し、江戸の町人の上流階級に愛好され楽しまれた。
300年以上経った現在でも初世の音楽性と精神は忠実に伝承されている。さらに、初世の音楽は弟子たちに受け継がれ、その後常磐津、清元、新内、富本等へと発展し様々な流派の源流となって、三味線音楽全体に多大な影響を与えた。

http://itchu.jp/

​Interview : 北村勇気・栗林スタニスロース薫
Photo : 坂本敦史
Place : 国立能楽堂

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